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Communism
photo by gk_jam

震災以降、特に原発事故後の福島県に対していろいろな社会起業的な取り組みがありました。
脱原発運動とかクリーンエネルギーとかボランティア元年とか、ソーシャルメディアで世の中を変えようとか。

が、どうも苦手というか好きになれません。学生時代に薬害エイズ訴訟の支援活動時に「市民運動家」や「勘違い正義に目覚めた純情バカ」に翻弄された経験がトラウマ化してるかもしれないからだけど…。

そんな違和感というか気味の悪い感じって、歴史的に前例があったのでご紹介。

■ルイセンコ論争 - Wikipedia
ルイセンコはこれ(非科学的論説)を遺伝的性質がこのような操作によって変化するものと見なし、これまでのメンデル遺伝学や自然選択説を否定した。後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論であり、スターリンは強く支持した。(ルイセンコ論争 - Wikipedia)


「人の理論は権力で捻じ曲げられる、ならば科学も捻じ曲げれば良い」という、気が狂ったとしか思えないことを国策レベルで実行しちゃった旧ソビエトさん。

その結果は農地が崩壊して餓死者続出というありえない展開になり、これを真似た北朝鮮も極度の食料不足に陥ってしまった。

まともな人なら当然止める訳ですが、
当時のソ連の生物学会ではルイセンコの学説に反対する生物学者は処刑されたり、強制収容所に送られるなど粛清されていた。(ルイセンコ論争 - Wikipedia)

文句言うのも命がけすぎ…('A`)

なんかこの一連の流れ、先日のホタルプロジェクトみたいですよね。

「安易な行動で環境破壊を引き起こしかねない」と学者に指摘されると、
「報われべき復興の努力を冒涜した!粛清する!」と激昂するイベント関係者みたいな。


この「ルイセンコ論争」的な原発事故後の「気味の悪いソーシャル感」の現れ方は、

「努力は報われる的なキャッチーさ」

「参加への敷居の低さ(「いいね!」押しただけで何かした気がする)」

「ソーシャルメディア上での過剰な拡散(RTやシェアとか)」


と、共産主義まっさかりの当時では独裁者寄りだったものが、
現代ではマスコミやソーシャルメディア等の大衆正義寄りになっていること。

そして、どれも共通してるのが「暴走すると止められない」ということ。


歴史は繰り返す、とはいうもののマシな歴史を繰り返してもらいたいものです。

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