photo by jessrawk
先日の一件のあとにいろいろと調べた結果わかった「怪しい復興プロジェクト」の新しいパターンについてご紹介。
導入
震災後から継続して活動している団体・施設に学生の集まりがやってきて「〜な震災復興プロジェクトを企画してるので協力してほしい」と支援要請をしてくる。
切り口としては「アート」「町の魅力発見」とかのありきたりのもので、一見簡単そうに見えるものばかり。
地元の人も「学生さんだからいいか」と気軽に引き受けてしまいます。
展開
地元の「支援者」とされた人たちはなんとなく協力することになったが、学生たちは「やらなければいけない課題」「このようなこと(今までは違う展開)をしたい」と、これまでより大きな協力要請を求めてくる。
たとえば現地の学生・学校の紹介や動員依頼とか。
場合によっては支援者に過大な負荷をかけたりするが、学生たちはなんら気にしない。
結果として企画・プロジェクトは紛糾するが、その敗戦処理は全部地元の人が行うハメに。
もちろんなんとか開催したイベントで人が来なければ地元の人(特に支援しちゃった人)たちが動員させられる。
それらは当事者たちによってFacebookで「現地ではとても好意的であるかのような」「成功事例」として公開される。
その後、これら「とても好意的であるかのような」「成功事例」は自称プロデューサーの「実績」としてセミナーなどで紹介されるのです。
悪夢の背景
震災後の2011年度に「復興プロジェクト」を立ち上げた市内外の自称プロデューサーが多くの場合で運営上の問題を起こし、開催地(いわき市内だと平、湯本、小名浜等)で信頼をなくして活動継続が困難(要は「追い出された」)になった。
ここで締め出された自称プロデューサー達はここで諦めることなく、「若者・よそ者の手によって」「地域の魅力発見」「ソーシャルメディアで情報発信」などのきれいごとを並べて学生達を前面に立たせます。
もちろん、自称プロデューサー達は学生達の背後にいますが、事が一定の成果が出るまで表にでません(自称プロデューサーの後にさらなる自称プロデューサー仲間がいる場合も)。
この学生たちは現地に丸投げされ、支援させられるのは「現地の人=被災者」達。
彼ら自称プロデューサーにとっては、自分達で企画を考えずとも学生達に「震災復興ボランティア」の名の下に動いてもらえれば「自分達のイベント」を遂行させることができる。
さらに問題が起きれば学生のせいにして切り捨てれば自分達はまんまと逃げおおせられる。
そんな「ソーシャルメディアを活用した『ネットでメシウマ』」が自称プロデューサー達の次なる計画みたいです。
ネタばらし
元々はイベントの助成金申請書類の副産物なんですが、
「参考に」と聞いたり見た書類や話がまったくのブラックだったでござるでした。
探した経緯をちょいとばかしまとめますと、
1)直近で助成金を申請した団体で「活動母体が不明瞭なもの」を抽出してみた
2)その団体の発足経緯と「現地での活動」を関係者に聞いてみた
3)そこで出てきた「怪しい人」をFacebookで人間関係を調べてみた
4)もう一度、直近の助成金申請内容を確認してみた
2番目は現地じゃないと難しいけど、他は地元じゃなくても結構できますよ。
調査報道をかじった事がある人なら分かりやすいと思うしで。
逆に地元の人でないと難しいのは、「本当はどうなのか?」を調べること。
Facebookに代表される「実名ベースのソーシャルメディア」では問題を起こしても「社会的地位で相手を封殺できる」ことが可能なため、問題点の可視化が難しいとされるけど、ちゃんと関係者にあって話を聞けば分かることも多いで怠らずにすることですね。
あと注意してもらいたいのは、この「黒い紳士録」には(事情を知らずに繋がってしまった)地元のフリーランスや自営業の方が結構まじってるので、物事の背景を踏まえて除外しないと誤爆の可能性が大です。
自称プロデューサー達は出実は違えどもセルフブランディングに熱心な「(震災復興をきっかけに)有名になりたい!目立ちたい!」夢見る30〜40代が多いのなんの。
価値基準が「大手メディアに取り上げられた」だからホントに頭が痛くなります。こっちは普通の日常が欲しいだけなのに。
それでも見分け方がわかったのなら、その経験を生かし、
次に持ち込まれた怪しい復興支援プロジェクトを排除できたんでしょうか?